母の味 鮭 の 飯鮨


                          

飯鮨の漬け込み


 鮭の飯鮨で大喧嘩 


 聞き書き 鮭の飯鮨について





                                         聞き書き     鮭の飯鮨





    *  材料と、その用意の仕方




   1 鮭 2〜3本 ( できれば雄の銀鮭 )

  鮭は3枚に下ろし、カマとハラスを取り除く。中骨をそぎ落とし縁を取っておく。
  塩を振りかけて一晩置き、漬け込む時に酢水で洗う。


  2 キャベツ

  千切りにした物を中くらいのボールに一杯分


   3 人参 中一本

  中くらいのもの一本を千切りにし、アルコールを飛ばした酒二合でさっと煮る。
  その後、ざるにあけて冷ましておく。


  4 生姜 
 
  千切りをカップ一杯強。


  5 赤唐辛子(タカノツメ)

  小さい物を20〜30本


  6 飯

  米3合を固めに炊きあげ、冷ましたものに、アルコールを飛ばした酒2〜3合を振りかけ
  パラパラの状態にする。


  7 米 酢

  鮭を洗ったものよりも濃いめの酢水を3〜4合ぐらい。


  8 塩
 
  天然塩に近いものを適宜


  9 樽

  鮭2〜3本で木の一斗樽


  10 笹の葉

  大きめの葉を30〜40枚


  




 鮭の飯鮨  漬け込み






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           鮭の飯鮨  漬け込み



 1 鮭の切り身を作る。

   塩をして一晩寝かせた鮭を水で洗い、ヌメリを取る。特に皮のヌメリが残らないように
   気をつける。
   1pぐらいの厚さに切る。
   そのまま漬けても良いが、全部切り終わった後で、酢水に塩を加え、
   軽くしめるつもりでさっと浸ける。
   これをやっておくと後で重しをかけた時にヌメリが原因で傾くことが少なくなる。

 2 樽の底に笹の葉を敷きつめる。
   隙間の無いように敷いてゆき、その後樽の壁に沿って立ち上げる。
   笹の葉は防腐効果があるので、なるべく用意するよう心掛ける。

 3 樽の底に、まず塩をふり、その上に飯と野菜を敷き、鷹の爪を3〜4本置く。

 4 鮭の切り身を敷きつめる。
   皮が上を向くように、皮と皮が重ならないように、隙間の無いように気をつける。

 5 全体に塩を軽く振りかける。

 6 飯を全体にバラバラと、ぶつけるように振りかける。

 7 キャベツ、人参、生姜、の順に振りかけていき、鷹の爪を2〜3本置く。

 8 酢水を多めに振りかける。
   手のひらで全体にかけたら最後に中央にパッとかける。

 9 手順4〜8を繰り返す。
   一番最後に、飯と野菜を多く載せて、鮭が隠れてしまうようにする。

 10 全部終わったら、足しながら立ち上げてきた笹の葉を畳んでふたをする。
    隙間の無いようにきちんとすること。
    (どうしても笹の葉が無ければキャベツで代用する)

 11 木のふたをする。出来上がった時に隙間の無いようなもの。

 12 重しを載せる。最初は30s、3〜4日おいてまた30s。
    鮭の本数の多いとき、または切り身の厚い時には更に30s足すとよい。
    (生ではなく、塩鮭を使った場合は、これよりも少ない重しで大丈夫)

 13 水が上がってきても構わない。
    暖かくてカビの生えた時にはそれを取り去り、
    新しい塩水を入れるか、浸け水を煮て冷まし、また使う。

 14 40日ぐらいで食べごろになる。(津軽弁で言うところの スシ シンジュ)





 * 重しを一度に載せてしまわないのは、ヌメリと水分で安定が悪い為。
    いきなり全部の重しを載せ、一晩で大きく傾かせてしまった失敗がある。

 * 出来上がった飯鮨を初めて食べるのは父と母で、
    それから半日〜一日おいて子供が食べる。
    それが両親の決まり事だったそうだ。(ボツリヌス菌などの食中毒対策)

 * 鮭の身の締まりが悪くて失敗することもある。
    そういう時は、味は良くても食感がまるで違うので、火を通してみる。

   汁がこぼれないようにアルミ箔の四隅を立ち上げて、
   ストーブの上において焼いて食べる。
   
   深皿に入れて電子レンジでチンしてもよし。
   びっくりするほど美味しい酒の肴になること間違いなし。
   もちろん一緒に漬け込んだ飯も野菜も全部である。

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                   鮭の飯鮨で大喧嘩 (昭和30年代初期)

 
   晩秋のある夜の事。いつも仲のよい両親が、突然喧嘩を始めた。
 それも半端な喧嘩ではない。目の前を鍋や食器、台所にあるものが飛び交い、
 大きな音を立てている。

 それまで、唯の一度も聞いた事のない、父が怒鳴る声、母の泣き叫ぶ声。
 幼い姉妹3人は一塊になって、泣いているしかなかった。

 父との喧嘩の後、母は家を飛び出してしばらくの時間、帰って来なかった。
 後々になってその時の事を聞く機会があったが、
 母は湖のほとりをずうっと歩きつづけていたそうだ。
 ただ一人、歩きながら母が何を考えていたのかまでは、教えてくれなかった。


 そして、夜の湖のほとりを、ただ一人歩かせた喧嘩の原因は・・・
 飯鮨に入れる野菜や生姜の量にあったそうだ。
 
 むろんそれだけが喧嘩の原因ではなく、飯鮨の漬け方という他愛のない事をきっかけにして、
 それまで口に出して言えなかったことを互いに爆発させてしまったのだろう。
 それにしても、それにしても怖かった。

 母は子供達の好みに合うよう、色々と入れたがり、父は土地に伝わる味を大事にしたかった。 
 同じように見える鮭の鮨でも、漬け込む人によって醸し出される味わい、
 家に伝わる味、村や町など地域独特の味というふうに様々な味があり、切り身の厚さや飯の量、
 そして中に入れる野菜の種類などで、出来上がりの味も大きく変わっていくのである。

 父の食べたかった味と、母の作りたかった味が、
 同じものになるまで何年の月日が必要だったのかは分からないが、
 私たち姉妹にとっては毎年変わらずに、美味しい正月の味だったことを覚えている。

 
 父と母の、後にも先にもたった一度のオオゲンカ。
 父はその後、飯鮨に入れる野菜や生姜の量についてはあまり言わないようになっていた。
 しかし、母が飯鮨を漬け終わる時まで、正座に腕組みの姿勢で
 樽の側に、じっと座っていたのを何度か見たことがあり、
 その時の様子が、幼いながら忘れられない一コマとなって、記憶の中に生き続けている。

 その後、母が漬ける飯鮨は美味しいと、十三地区のなかでも評判になっていて、
 中に入れる野菜もその年々で変えたり、時には生のイクラをちらしてみたり、
 新しいことや自分なりに工夫することが好きな母は、楽しみながら飯鮨作りを続けていたらしい。

 たまに父の眼が鋭く光ることもあったが、ちゃんと二樽、三樽と漬け込んでいて、
 これだけは曲げられないと言う父の味も、きちんと守り続けていた。
 
 食卓に並んだ飯鮨を食べるたびに、父は、
 「どうだ美味いだろう、これが十三の味だ。家の鮨の味だ」 と、
 嬉しそうに自慢していたのが、懐かしい思い出となって残っている。



                                                                    


                           



 

  

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聞き書き 「鮭の飯鮨」 について


この鮭の飯鮨の作り方は、母から教えて貰ったことを、殆どそのまま書き記したものである。
結婚してまもなくの頃、自分でも漬物や飯鮨を作りたいと思い、母に教わった。

学校を卒業するまでは家の仕事もよく手伝ったものだが、
卒業してから結婚するまでの間、ほとんどお勝手仕事をしたことが無かった。
そんな娘が母の眼には、よほど頼りなげに見えたのだろう。

鮭の切り身のヌメリの取り方も、漬け込みの時の酢水のかけ方も、
一つ一つを、気恥ずかしくなるほど丁寧に教えてくれたのだが、その中でも
重しをかけた後の水の処理や、カビが出た時の対処の仕方などにはずいぶん助けられた。

また、しつこいくらい「隙間の無いように」「きちんと重ねて」「敷きつめて」と繰り返すのは
総て食中毒を起こさないようにとの配慮である。
今はあまり聞かないが、以前は毎年一例ぐらいはボツリヌス菌による食中毒があったらしい。

笹の葉が、その中毒を防いでくれるので、必ず用意するようにと言われ、
夫と二人、山の際に車を止めて、大きな笹の葉を懸命に集めたことが懐かしい。

30代の頃に頑張って作っていたのだが、
父や母に誉めて貰えるような飯鮨を作ることができたのは、たった一度きりであった。

その後、漬物や飯鮨を作ることもなくなり、樽や重しの殆どは、漬物上手の知人にあげてしまったが、
飯鮨用の厚い木の樽と、重しだけは、手放すことができずに家の片隅に置いてある
空の鮨樽に、思い出だけをいっぱいに詰め込んで・・・。






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